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- 橘始黄(たちばなはじめてきなり)

小雪(二十節気)末候 第六十候 12月2日~12月6日頃
橘の実が黄色く色づく頃です。
師走に入りました。昨今は年末のあの慌ただしさがなく、特に、このコロナ禍では、もっと帰省が減り、静かな師走になった感です。
人口減、「家族とは」の多様性への移行、スマホ文化といわれるようなITの進化、世代間の考え方のギャップも大きくなったのでしょう? 若い人はどんどん新しいものを吸収、ボーダレスで国際的に情報を吸収、反対に年配の方は、IT技術、ボーダレスの情報についていけないなど、良いのか悪いのか別にして、情報格差などが昔のあの賑わいがなくなっていった一つの原因とも言えるのでは? 皆様の師走はどのようなものなのでしょうか?
さて、橘は、香りは良いのですが、酸味・苦味が強く生食には向かないです。
江戸へ送られた松陰は、幕府の取調べを受けますが、松陰は自分の意見を主張、幕府への批判をすることに。松陰のこの至誠により、安政6年(西暦1859年)29歳で露と消えました。
処刑される前日、松陰は遺書「 留魂録 」を書きます。
身 はたとひ 武蔵 の 野辺 に 朽 ちぬとも 留置 かまし 大和魂
門下生・塾生たちへの遺書、松陰の思いは志士たち引き継がれ、やがて倒幕への原動力となったのです。 そして刑死の1週間ほど前に家族にあてた手紙の中、
親思ふこゝろにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん
そしてもう一つ
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」
戦争のない時代に生まれたものからは、窺い知れない「覚悟」と迫力、そして「志」を感じることができました。
さて、この間、第58候で「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」と書きましたが、11月28日土曜日に播磨自然高原できれいな虹が立ちました。
でもうれしい裏切りです。写真はその時のものです。
きれい!!
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塾生が多くなってここで寝泊まりした時、松陰はこの屋根裏で寝ていたそうです。
高杉晋作、伊藤博文 達がこの小さな家に集まり、やがて幕末、維新の中心人物へと。
